大人問題・子ども問題/問題教師・問題生徒・問題保護者/世間・人間・・・さまざまな「間」を考える
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20080518 16:12
「小中学生に携帯電話持たせるな」教育再生懇提言へ
2008年05月17日18時22分
政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は17日、子どもを有害情報から守るために「小中学生に携帯電話を持たせない」との提言を、今月末にまとめる中間報告書に盛り込む方針を決めた。強制力はないが、保護者をはじめ社会に対するメッセージとする狙いがある。
懇談会は16、17両日の会合で中間報告案を討議。携帯電話の有害情報対策としては、小中学生に携帯電話を持たせないことを原則としたうえで、業界に(1)通話と居場所確認機能に限定した小中学生向け携帯の開発を求める(2)閲覧制限の機能を付けることを法的に義務づける――との案を了承した。担当の山谷えり子首相補佐官は「持たせない、といっても強制はできない。懇談会からの教育的メッセージだ」と説明している。
内閣府が昨年3月に実施した調査では、小学生の31%、中学生の58%、高校生は96%が携帯電話やPHSを使っているという。福田首相は15日、記者団に「携帯電話の必要性が子どもの場合、それほどあるとは思っていない。むしろ有害情報といったようなことを心配した方がいい」と語っている。
懇談会では、政府が策定作業を進めている教育振興基本計画について、教育への公的支出を増額する数値目標を盛り込むよう、週明けに緊急提言することも決めた。
基本的には賛成します。
以下に私見的携帯電話の対小中学生弊害をまとめます。
私自身が、待ちあわせとメール以外で携帯を使いこなせていない、イマドキ的には携帯原人的存在であることも大きいのかもしれないけど、大人でも、せっかく一緒にいる時にメールチェックばかりされたり、他の人間に電話をかけられたりするのが、好ましいとは思ってないからかも。せっかくリアルで出あってるのに、目の前にいても「心ここにあらず」なのって、どうなの?と思う。
恋人がデートで2人ともずーっと別の相手に携帯してたり、「携帯でしかしゃべれない」「メールでしかつきあえない(絶望先生のメルちゃん状態)」なんていう話も冗談で聞けなくなってきた。
また、携帯を持ってると着信時にどうしてもチェックせざるをえなくなり、なんか携帯に縛られてく感じが苦手です(それで長い間持っておらず、仕事仲間からは呆れられて、諦められてきたわけですね)。
弊害1:リアルなつきあいへの影響・制限
携帯の「誰とでもどこでもつながれる」機能は、PCと同じく孤独を減少させるには絶大な効果を発揮している。ただ、子どもたち含めて、メル友数を競ったりゲット数を増やすことが主体になって、「交流」のメンテナンスできてなかったりしていくと、本末転倒な感じがする。いや、分散化することでの「1人あたりおつきあい」の希薄さが好ましいのかもしれませんが。
弊害2:友人の希薄化
出会い・友達化が玉石混交になってく中で、本来あるべき「他人」への警戒がどんどん薄まって、危険な仲間を呼び込む可能性も増えていく。
小学生の時に姪が「メル友100人できたよ」と自慢していたが、「すごいね!」とその社交性を好ましくも思いながら、よくよく考えると、可愛い女の子(はい、姪っ子はめっちゃ美少女です)だから、というだけでアクセスしてくる相手の思惑は不透明だし、その先(リアルでの出会い等)があるとしたらイエローシグナルがついてしまう。
その中味を親が検閲するわけにもいかないだろうし。(・・・してる親もいるようですが、子どもの日記を読むような行為で、これまた個人的には本人の自立心や自我のためには、あまりいいとも思えないのだけど。
出会いは人生では大切。ただ、リアルだとおのずと限られ親の目も届きやすい交流範囲が、ネットでは海外含めて限りない。小・中学生にそういう交流を管理する能力もまたないだろう。危険フィルターはまだまだ薄い。学習・経験を積まなければトラブル時の対応もできるとは思えない。有害サイト、ネット犯罪への遭遇率も高い。
弊害3:「危険」との遭遇率アップ
ネットは魅力的だ。それは私自身身をもって体験済みだし、その未知との遭遇的可能性には今なお心ときめく部分もある。ただその分当然なから危険も多い。
エロ関係含め迷惑な関わりも増える。エロ情報もそうだが、情報には、それぞれ適正な取得時期というものがあるように思う。通常は活動範囲の拡大に伴って増えていくのが1番いいともちろん個人差はあると思う。たとえば小学生時代に『チャタレー夫人の恋人』をよむ、それは文学読解力がなければできないことなので、一概に悪いとは私は思えない(子どもの読む本ではない、というのが世間的評価だとは思いますが)。が、ネットの網羅力・一斉発進力は、受け手のスキルを選ばない。それがマイナスだけだとも言えないけれどそ、プラスにばかり出るとも限らない。
弊害4:「マイナス情報」との遭遇率アップ
「匿名性」は素性も得体もわからない相手との交流を気軽に可能にする。同様に簡単に匿名になれることは、裏ブログへの書き込みや悪口メール、チェーンメールのような「やってはいけない」ことへのハードルを低くしている。自分だとわからなければ何をしてもいい、という免罪符を早くから経験させることは、「責任感」や「他者への配慮」を育てる障害になる。みんなで騒げばこわくない、に近い「祭り」のようなモラルハザードも起りやすい。自分1人では絶対やらない・できない非常識な言動も仲間の煽りや共感によってつながり、暴走するケースもあると思う。これは大人でもそうなので、子どもだとどこまでそれをコントロールできるのか不明だ。場合によってはいやいやながら参加せざるをえないケースも考えられる。
弊害5:自己責任力の低下
他にもと、大人で起っているネット関係の問題がそのまま子どもに起る、と考えるのが正しいと思う。
大人だとそれでも仕事や家庭のマネジメントなどで保たれる自我とそれに対する客観性が、子どもの場合は学校という限られた経験世界しかなく、情報に塗り替えられるリスクも大きい。
携帯を持たせてさえいれば(親がいなくても子どもは)安全だ、という親の一種の責任放棄も緩和されるかもしれない。バスや電車で騒ぎ放題・傍若無人な私立小学生低学年集団を見ると「親の顔が見たい」(&ビデオで録画して見てもらいたい&汚い言葉遣いやとんでもない内容を聞かせたい)と本気で思うが、そこも改善されることを願います。
弊害6:親の責任意識の低下
それにしても散々親子通話その他ファミリー市場開拓で煽っておいて
この結論。携帯電話各社の思惑はいかに?
2008年05月17日18時22分
政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は17日、子どもを有害情報から守るために「小中学生に携帯電話を持たせない」との提言を、今月末にまとめる中間報告書に盛り込む方針を決めた。強制力はないが、保護者をはじめ社会に対するメッセージとする狙いがある。
懇談会は16、17両日の会合で中間報告案を討議。携帯電話の有害情報対策としては、小中学生に携帯電話を持たせないことを原則としたうえで、業界に(1)通話と居場所確認機能に限定した小中学生向け携帯の開発を求める(2)閲覧制限の機能を付けることを法的に義務づける――との案を了承した。担当の山谷えり子首相補佐官は「持たせない、といっても強制はできない。懇談会からの教育的メッセージだ」と説明している。
内閣府が昨年3月に実施した調査では、小学生の31%、中学生の58%、高校生は96%が携帯電話やPHSを使っているという。福田首相は15日、記者団に「携帯電話の必要性が子どもの場合、それほどあるとは思っていない。むしろ有害情報といったようなことを心配した方がいい」と語っている。
懇談会では、政府が策定作業を進めている教育振興基本計画について、教育への公的支出を増額する数値目標を盛り込むよう、週明けに緊急提言することも決めた。
基本的には賛成します。
以下に私見的携帯電話の対小中学生弊害をまとめます。
私自身が、待ちあわせとメール以外で携帯を使いこなせていない、イマドキ的には携帯原人的存在であることも大きいのかもしれないけど、大人でも、せっかく一緒にいる時にメールチェックばかりされたり、他の人間に電話をかけられたりするのが、好ましいとは思ってないからかも。せっかくリアルで出あってるのに、目の前にいても「心ここにあらず」なのって、どうなの?と思う。
恋人がデートで2人ともずーっと別の相手に携帯してたり、「携帯でしかしゃべれない」「メールでしかつきあえない(絶望先生のメルちゃん状態)」なんていう話も冗談で聞けなくなってきた。
また、携帯を持ってると着信時にどうしてもチェックせざるをえなくなり、なんか携帯に縛られてく感じが苦手です(それで長い間持っておらず、仕事仲間からは呆れられて、諦められてきたわけですね)。
弊害1:リアルなつきあいへの影響・制限
携帯の「誰とでもどこでもつながれる」機能は、PCと同じく孤独を減少させるには絶大な効果を発揮している。ただ、子どもたち含めて、メル友数を競ったりゲット数を増やすことが主体になって、「交流」のメンテナンスできてなかったりしていくと、本末転倒な感じがする。いや、分散化することでの「1人あたりおつきあい」の希薄さが好ましいのかもしれませんが。
弊害2:友人の希薄化
出会い・友達化が玉石混交になってく中で、本来あるべき「他人」への警戒がどんどん薄まって、危険な仲間を呼び込む可能性も増えていく。
小学生の時に姪が「メル友100人できたよ」と自慢していたが、「すごいね!」とその社交性を好ましくも思いながら、よくよく考えると、可愛い女の子(はい、姪っ子はめっちゃ美少女です)だから、というだけでアクセスしてくる相手の思惑は不透明だし、その先(リアルでの出会い等)があるとしたらイエローシグナルがついてしまう。
その中味を親が検閲するわけにもいかないだろうし。(・・・してる親もいるようですが、子どもの日記を読むような行為で、これまた個人的には本人の自立心や自我のためには、あまりいいとも思えないのだけど。
出会いは人生では大切。ただ、リアルだとおのずと限られ親の目も届きやすい交流範囲が、ネットでは海外含めて限りない。小・中学生にそういう交流を管理する能力もまたないだろう。危険フィルターはまだまだ薄い。学習・経験を積まなければトラブル時の対応もできるとは思えない。有害サイト、ネット犯罪への遭遇率も高い。
弊害3:「危険」との遭遇率アップ
ネットは魅力的だ。それは私自身身をもって体験済みだし、その未知との遭遇的可能性には今なお心ときめく部分もある。ただその分当然なから危険も多い。
エロ関係含め迷惑な関わりも増える。エロ情報もそうだが、情報には、それぞれ適正な取得時期というものがあるように思う。通常は活動範囲の拡大に伴って増えていくのが1番いいともちろん個人差はあると思う。たとえば小学生時代に『チャタレー夫人の恋人』をよむ、それは文学読解力がなければできないことなので、一概に悪いとは私は思えない(子どもの読む本ではない、というのが世間的評価だとは思いますが)。が、ネットの網羅力・一斉発進力は、受け手のスキルを選ばない。それがマイナスだけだとも言えないけれどそ、プラスにばかり出るとも限らない。
弊害4:「マイナス情報」との遭遇率アップ
「匿名性」は素性も得体もわからない相手との交流を気軽に可能にする。同様に簡単に匿名になれることは、裏ブログへの書き込みや悪口メール、チェーンメールのような「やってはいけない」ことへのハードルを低くしている。自分だとわからなければ何をしてもいい、という免罪符を早くから経験させることは、「責任感」や「他者への配慮」を育てる障害になる。みんなで騒げばこわくない、に近い「祭り」のようなモラルハザードも起りやすい。自分1人では絶対やらない・できない非常識な言動も仲間の煽りや共感によってつながり、暴走するケースもあると思う。これは大人でもそうなので、子どもだとどこまでそれをコントロールできるのか不明だ。場合によってはいやいやながら参加せざるをえないケースも考えられる。
弊害5:自己責任力の低下
他にもと、大人で起っているネット関係の問題がそのまま子どもに起る、と考えるのが正しいと思う。
大人だとそれでも仕事や家庭のマネジメントなどで保たれる自我とそれに対する客観性が、子どもの場合は学校という限られた経験世界しかなく、情報に塗り替えられるリスクも大きい。
携帯を持たせてさえいれば(親がいなくても子どもは)安全だ、という親の一種の責任放棄も緩和されるかもしれない。バスや電車で騒ぎ放題・傍若無人な私立小学生低学年集団を見ると「親の顔が見たい」(&ビデオで録画して見てもらいたい&汚い言葉遣いやとんでもない内容を聞かせたい)と本気で思うが、そこも改善されることを願います。
弊害6:親の責任意識の低下
それにしても散々親子通話その他ファミリー市場開拓で煽っておいて
この結論。携帯電話各社の思惑はいかに?
20080220 01:02
※その1から続きます。
授業時間30年ぶり増=理数は来春から−新学習指導要領案・文科省 (時事通信) - goo ニュース
文部科学省は15日、幼稚園から中学校までの新学習指導要領案を公表した。「ゆとり教育」を掲げた現行指導要領が学力低下の一因とされた点を踏まえ、理数や国語などの主要教科で小中学校の授業時間を1割増、学習内容も増やした。小学5年から英語が必修となるほか、改正教育基本法を受け、伝統文化の学習と道徳教育を充実させる。1977年の改定以来、減り続けた総授業時間は約30年ぶりに増加に転じる。
ゆとり教育から一転、授業数の30年ぶりの増加ばかりが強調されている新学習指導要領案ですが、その内容をきちんと検討していかないと、増やせば元に戻るというものでもないし、元々の元にあった問題(だからこそ「ゆとり教育」に転じられた原因)が解決されているわけでもない。
その点に関してはRen様の記事をぜひご参照ください。
※一部を抜粋させていただきます。
授業増…で、おk?
人間は言葉でコミュニケーションを図り、情報を得てモノを考える。
だから、最優先すべきは「言葉」に関する能力アップなのではないだろうか?
いくら繰り返し数式を解く練習をさせても、子どもたちは応用問題になるとまるでダメだ、何故なら、問題文が読解できないからとりかかれないのだと数学の教師はよく職員室で嘆いていますよ。
理科だって同じだと思う。
例えば実験やるにしても、薬品の取り扱い説明書が読めないとか、結果のレポートが書けないとか…。
こういう答申や案を作っている人々は、まず現場に来て実態を充分把握してから作業を始めて欲しい。しかも、文科省からのなんちゃら指定校などにされている学校ではなく、いわゆるフツーの、もしくは「荒れている」といわれている学校でしっかりと「体験」してからにしてよね。
そうでないと、また同じ過ちを繰り返すことになる。
本当にその通りだと深くうなづいてしまった。
別記事のコメント欄でも書きましたが、息子を含めたゆとり世代の子どもたちは、全般的に情報の検索・収集力には優れていても、集約力、解釈力、応用力が低い気がします。全般的に読解力不足を感じる。それってやはり言葉の組み立て方・積み重ね方の基本ができてないからなんじゃないかな、と。
そしてこれが大学生の「KY」を過剰重視する傾向にもつながっているのかも。
理数系人間尊重、英語教育・・・その前に日本語教育をきっちりやってほしいと思います。シンプルなところでは、息子達の小学校時代、大幅にカットされた(家で読むように指導はありましたが)音読は、力をいれてやってほしい。書き取りも同様。
うーん、まだまだ子どもの育成を本気で考えたものとは、思えない内容のように感じます。目先の結果重視は、また別の弊害を生む危険があるかな、と。今度は上手に微調整していってほしいものです。
授業増に歓迎、不安=「子どものつまずき増える」−条件整備の訴えも・学校現場 (時事通信) - goo ニュース
授業時間と内容が増えた新学習指導要領案。理数は来春から前倒しで実施され、小学校では英語の授業が始まる。「授業増はよかった」「生徒のつまずきが増える」。路線転換を現場で担う学校からは歓迎と不安の声が聞かれた。
福岡県の市立中で数学を担当する男性教諭(44)は「数学は階段に似ていて、どこかでつまずくとそこから先は上れない。授業が増えれば段数が増え、つまずく機会も多くなる」と不安を隠さない。
教える側としても、教員数が現状のままで授業時間が増えるのは厳しいという。「研究発表の指導案審議などに時間を取られる。今は1日1時間の空き時間でこなしているがどうなるのか」と訴えた。
既に9割以上の小学校は総合学習などを活用し英語を教え始めているが、必修化に伴い「ネーティブスピーカーの活用」が求められる。渡海紀三朗文部科学相は「実施時には問題がないよう条件整備する」と強調するが、具体的な方策は見えない。
中国地方のある町の教育長は「中学に1人、外国語指導助手(ALT)はいるが、小学校でもとなると新たに雇う必要が出るかもしれない」と危惧(きぐ)する。
変化の前段階には現場は混乱しやすい、それは想定内。ただ、教える現場から上げられた懸念は課題としてきちんと把握・整理しておく必要があると思います。
>教員数が現状のままで授業時間が増えるのは厳しい
このあたりを具体的に解決してから、本格導入していただきたい。理想論だけ掲げ、実施段階は「なんとかなるだろう(なんとかしろ)」な現場任せでは、ゆとり教育の二の舞三の舞だと思います。
家庭教育への「支援」はどうなるのか( [ベネッセ教育情報サイト)
これに関連して注目されるのは、学習指導要領についての中教審答申(今年1月)です。今の指導要領は完全学校週5日制を前提に、「家庭に任せるべきことは家庭に返す」という考え方を取っていました。それに対して1月の答申は、「家庭や地域の教育力が低下したことを踏まえた対応が十分ではなかった」と率直な反省の弁を述べています。
これも気付くのがあまりにも遅すぎる。導入前に気付いてほしかった。というか、当然そこを強化してから導入検討すべきだった。でも気付かないよりはいいのかな。
我が家はゆとり教育をどっぷり経験して、2年前に卒業しましたが、
今、お子様を義務教育に託してるご家庭、
またこれから義務教育に託す保護者の皆様は、
これからの国や教育委員会、学校の動きに注目し、
よりよい教育環境を自分のお子様のために用意してあげてくださいね。
そして、それは決して個人主義ではなく、学校依存でも家庭依存でもなく、
先生や地域や父母仲間との連携の中で生まれていくものだと信じています。
息子がモルモットとなったゆとり教育の弊害を充分に踏まえ、
それがせめては以降の世代によりよい道を作るための実験となるように、
現場にとっても家庭にとっても最適ソリューションが検討され続けることを
心から願います。
関連:
2011年からどう変わる!? 教科書と授業内容(ベネッセ教育情報サイト)
40年ぶり小中授業増 理数09年から 指導要領改訂案(朝日新聞) - goo ニュース
新学習指導要領案 どう育てる世界標準学力(産経新聞) - goo ニュース
授業時間30年ぶり増=理数は来春から−新学習指導要領案・文科省 (時事通信) - goo ニュース
文部科学省は15日、幼稚園から中学校までの新学習指導要領案を公表した。「ゆとり教育」を掲げた現行指導要領が学力低下の一因とされた点を踏まえ、理数や国語などの主要教科で小中学校の授業時間を1割増、学習内容も増やした。小学5年から英語が必修となるほか、改正教育基本法を受け、伝統文化の学習と道徳教育を充実させる。1977年の改定以来、減り続けた総授業時間は約30年ぶりに増加に転じる。
ゆとり教育から一転、授業数の30年ぶりの増加ばかりが強調されている新学習指導要領案ですが、その内容をきちんと検討していかないと、増やせば元に戻るというものでもないし、元々の元にあった問題(だからこそ「ゆとり教育」に転じられた原因)が解決されているわけでもない。
その点に関してはRen様の記事をぜひご参照ください。
※一部を抜粋させていただきます。
授業増…で、おk?
人間は言葉でコミュニケーションを図り、情報を得てモノを考える。
だから、最優先すべきは「言葉」に関する能力アップなのではないだろうか?
いくら繰り返し数式を解く練習をさせても、子どもたちは応用問題になるとまるでダメだ、何故なら、問題文が読解できないからとりかかれないのだと数学の教師はよく職員室で嘆いていますよ。
理科だって同じだと思う。
例えば実験やるにしても、薬品の取り扱い説明書が読めないとか、結果のレポートが書けないとか…。
こういう答申や案を作っている人々は、まず現場に来て実態を充分把握してから作業を始めて欲しい。しかも、文科省からのなんちゃら指定校などにされている学校ではなく、いわゆるフツーの、もしくは「荒れている」といわれている学校でしっかりと「体験」してからにしてよね。
そうでないと、また同じ過ちを繰り返すことになる。
本当にその通りだと深くうなづいてしまった。
別記事のコメント欄でも書きましたが、息子を含めたゆとり世代の子どもたちは、全般的に情報の検索・収集力には優れていても、集約力、解釈力、応用力が低い気がします。全般的に読解力不足を感じる。それってやはり言葉の組み立て方・積み重ね方の基本ができてないからなんじゃないかな、と。
そしてこれが大学生の「KY」を過剰重視する傾向にもつながっているのかも。
理数系人間尊重、英語教育・・・その前に日本語教育をきっちりやってほしいと思います。シンプルなところでは、息子達の小学校時代、大幅にカットされた(家で読むように指導はありましたが)音読は、力をいれてやってほしい。書き取りも同様。
うーん、まだまだ子どもの育成を本気で考えたものとは、思えない内容のように感じます。目先の結果重視は、また別の弊害を生む危険があるかな、と。今度は上手に微調整していってほしいものです。
授業増に歓迎、不安=「子どものつまずき増える」−条件整備の訴えも・学校現場 (時事通信) - goo ニュース
授業時間と内容が増えた新学習指導要領案。理数は来春から前倒しで実施され、小学校では英語の授業が始まる。「授業増はよかった」「生徒のつまずきが増える」。路線転換を現場で担う学校からは歓迎と不安の声が聞かれた。
福岡県の市立中で数学を担当する男性教諭(44)は「数学は階段に似ていて、どこかでつまずくとそこから先は上れない。授業が増えれば段数が増え、つまずく機会も多くなる」と不安を隠さない。
教える側としても、教員数が現状のままで授業時間が増えるのは厳しいという。「研究発表の指導案審議などに時間を取られる。今は1日1時間の空き時間でこなしているがどうなるのか」と訴えた。
既に9割以上の小学校は総合学習などを活用し英語を教え始めているが、必修化に伴い「ネーティブスピーカーの活用」が求められる。渡海紀三朗文部科学相は「実施時には問題がないよう条件整備する」と強調するが、具体的な方策は見えない。
中国地方のある町の教育長は「中学に1人、外国語指導助手(ALT)はいるが、小学校でもとなると新たに雇う必要が出るかもしれない」と危惧(きぐ)する。
変化の前段階には現場は混乱しやすい、それは想定内。ただ、教える現場から上げられた懸念は課題としてきちんと把握・整理しておく必要があると思います。
>教員数が現状のままで授業時間が増えるのは厳しい
このあたりを具体的に解決してから、本格導入していただきたい。理想論だけ掲げ、実施段階は「なんとかなるだろう(なんとかしろ)」な現場任せでは、ゆとり教育の二の舞三の舞だと思います。
家庭教育への「支援」はどうなるのか( [ベネッセ教育情報サイト)
これに関連して注目されるのは、学習指導要領についての中教審答申(今年1月)です。今の指導要領は完全学校週5日制を前提に、「家庭に任せるべきことは家庭に返す」という考え方を取っていました。それに対して1月の答申は、「家庭や地域の教育力が低下したことを踏まえた対応が十分ではなかった」と率直な反省の弁を述べています。
これも気付くのがあまりにも遅すぎる。導入前に気付いてほしかった。というか、当然そこを強化してから導入検討すべきだった。でも気付かないよりはいいのかな。
我が家はゆとり教育をどっぷり経験して、2年前に卒業しましたが、
今、お子様を義務教育に託してるご家庭、
またこれから義務教育に託す保護者の皆様は、
これからの国や教育委員会、学校の動きに注目し、
よりよい教育環境を自分のお子様のために用意してあげてくださいね。
そして、それは決して個人主義ではなく、学校依存でも家庭依存でもなく、
先生や地域や父母仲間との連携の中で生まれていくものだと信じています。
息子がモルモットとなったゆとり教育の弊害を充分に踏まえ、
それがせめては以降の世代によりよい道を作るための実験となるように、
現場にとっても家庭にとっても最適ソリューションが検討され続けることを
心から願います。
関連:
2011年からどう変わる!? 教科書と授業内容(ベネッセ教育情報サイト)
40年ぶり小中授業増 理数09年から 指導要領改訂案(朝日新聞) - goo ニュース
新学習指導要領案 どう育てる世界標準学力(産経新聞) - goo ニュース
20080220 00:59
1つ下のフライング記事ですでに憤りは吐きだしちゃいましたが;(大汗
「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
※リンク切れ防止のためにこの記事の最後に記事を掲載します。
多分、真剣に自分たちが受けてきたゆとり教育の問題点を考え、《「スーパーサイエンスハイスクール」活動の一環として教育の科学的考察》を行おうとする若者を、「自信を失ってる」と決めつけるのは個人の発言としては自由なのかもしれないけど、ゆとり教育の責任者として、学力低下を否定するところからはじまって(学力が低下したことが問題視されて、今回改訂されたのだと思ってましたが)こういう発言はどうなのでしょう?
まぁマスコミ編集が入ってると思うので、実際にご本人と話せばまた感想は違うのかもしれないけど、どうせなら「学力が低下してももっと大切なものを得たはずだ」くらい言いきってくれれば、それなりに「ゆとり教育」のコンセプトは守れたのかもしれない。でも彼の発言はこの記事でよむ限り、ただの弁解で逃げでしかないと感じます。
責任者が、77歳。10年前は67歳・・・こういう人に決定権を持たせた(今も影響力がある)こと自体にも問題があるのかもしれないと思ってしまう。
有馬氏は、昨年10月に文部科学省が発表した全国学力調査の結果などを引用し、小学校6年生の漢字で「(魚を)焼く」と正しく書けたのは70・9%で昭和39年調査の33・8%を大幅に上回ることなどから、「義務教育段階での知識型学力は落ちていない」とする。
・・・昭和39年のデータ、それも時系列ではなく単独比較って、なんかこう統計データを見る際の感覚的にありえないというか。10年前と比較するのが妥当だと思うんだけど。めちゃくちゃなへ理屈だと感じるのは、私が「ゆとり」の母だから?
さくっと年間で1ヶ月近い授業数が減って、でも高校や大学の受け入れ体制は変わらない。それって無茶苦茶だ!なんというのか、距離は変わらないのに、時間を制限したマラソンみたい、というか(例えうまく伝わってますでしょうか?;;
そもそもゆとり時間の利用を可能にする教育的インフラもなくインプットを大幅削減・ダウンサイジングしてでもアウトプットは変わらない?それは錬金術だ。ありえない「理想」の呪術。誰が考えてもわかる破綻を、どうして通せたのか?
どういう見込みがあったのか?個人の妄想に近いイメージを押し付けられることに
違和感以上に恐怖を感じたのは、私だけではないと思う。
結局、減った学校での授業数・落ちた学力を補う学習時間は、当然ながら家庭に還元され、ノウハウのない家庭学習機能は塾にアウトソーシングされ、高額な個人塾が急成長。家庭の収入の一部がそこに確実に割かれ、そのために主婦のパート時間は増えていく・・・
ゆとり教育は家庭からゆとりを奪ったのだと思います。
私が考えるゆとり教育の弊害要素をキーワードにしてまとめてみました。
あくまで個人的私見ですが、この10年「ゆとり教育」導入時に
際立ってきた傾向も多々あるかと感じています。

私自身はゆとり教育は教育ビジネスに国が癒着した結果だとさえ考えている。国は国民を消費者に変え、子どもさえもその実験台にしたのだと。だから、国へのロイヤリティも愛国心も失せるのはある意味、当然なのでは、と。国はそれらをお金とバーターにしたのだから。
消費者は消費相当の商品(サービスを含む)を要求する。公共サービスや地域コミュニティの善意に、配慮や感謝をしないモンスターペアレントを生む土壌は「ゆとり教育」こそが生みだしたのだと思うのは言い過ぎでしょうか?
個人的には、モンスターペアレントに同感・共感はしないし、嫌悪対象でもあるが
(実際、数名とは直接バトルもしてきたが)彼らが様々な学校の教育サービスを享受することを「当然視」するのは国が「子どもとその親」を消費者に変えてしまったからだと思う側面はある。
こうした傾向を無視して、単純に授業時間だけに注目し不足分を増やしても、「体重が戻っても、一度失われた骨や筋肉は戻らないムチャなダイエット」(長いっすね;)のように、肝心の学習意欲は戻らないと思う。
新しく身体(教育システム)を作り直すくらいの目的をもって考えていってほしいと切望します。・・・が今のところ、あまり期待できないような・・・。
※その2に続きます。
===================================
「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
2月17日16時4分配信 産経新聞
「未来像…学力低下はさらに進む!!」。昨年12月下旬、福島県相馬市から県立相馬高校の2年生14人が、元文部大臣の有馬朗人氏(77)を東京に訪ねてやってきた。
生徒たちは研究発表の資料を携えていた。「学力低下の要因の1つは『ゆとり教育』」「授業で習うことが社会で役に立たないから、学習意欲・関心が低下している」「教員の質も問題だ」…。資料には有馬氏を詰問するかのような学力低下の“分析結果”が並んでいた。
物理学者で東大総長も務めた有馬氏は、平成8年に「ゆとり」「生きる力」を打ち出した中央教育審議会の当時の会長だ。
生徒たちは、理数教育を推進する「スーパーサイエンスハイスクール」活動の一環として教育の科学的考察に取り組んだ。きっかけは、昨年12月上旬に発表された「生徒の国際学習到達度調査(PISA)」の結果で、「日本の順位がまた落ちた」という報道だ。
「学力は下がっていない」。きっぱりと反論する有馬氏に、生徒は目を丸くした。熱弁は2時間近くに及んだ。
有馬氏は内心ではこう嘆いたという。「自分たちが悪い教育を受けてきたと思っている。過度の『学力低下』批判が、子供たちの自信を失わせた。学力の問題より、こちらの方が大変なことではないのか」
◇
「お前、ゆとりだろ」。ネットの掲示板などで相手をおとしめるため使われる言葉だ。昨年12月、巨大掲示板「2ちゃんねる」のユーザーが中心となって投票した「ネット流行語大賞」では、銅賞に選ばれている。
中教審委員として前回と今回双方の指導要領改定に携わり、私立有名進学校を経営する「渋谷教育学園」の田村哲夫理事長(71)は、ゆとり教育の目指したものについて「教育の目的は不測の事態への適応力をつけるための訓練。高めるには知識などの学力が3割、意欲や思考力などが7割−が心理学の定説だ。前回の改定は、学力訓練に注力しすぎた教育をただすためだった」と位置づける。
だが、「時間を減らしたら、教える側が何もしなくなってしまったのが実情。できた余裕が現場でまったく生かされず、マイナスだけが出てきた」と、今回、30年ぶりに授業時間増に転じる理由を説明する。
「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」と有馬氏は言う。
「答申後、文部省(当時)の役人とともに全国を回ればよかった。ゆとりの意味はこうだ、とていねいに説明すべきだった。後悔している」
◇
今年1月16日、東工大のシンポジウムで有馬氏は、ここでも「学力が下がっていると言われるが、全く下がっていないことを証明する」と言い切り、「理工系学生の学力・学習意欲の低下が問題化している」と“弱気”なあいさつをした主催学生を勇気付けた。
有馬氏は、昨年10月に文部科学省が発表した全国学力調査の結果などを引用し、小学校6年生の漢字で「(魚を)焼く」と正しく書けたのは70・9%で昭和39年調査の33・8%を大幅に上回ることなどから、「義務教育段階での知識型学力は落ちていない」とする。
一方で中学で学ぶ2次方程式を解ける大学生が3割しかいない例をあげ、「大学はガタ落ちだ」とも認める。
学力が身についていない。応用型の国際学力調査などで成績が伸びていない現状は否定できない。
冒頭の生徒たちは有馬氏の説明を受け、氏家由希子さん(17)は「ゆとりが目指したものを知らなかった」とし、「有馬先生の考えが、親や地域の人にどれだけ浸透していたのか。納得いかないところもあった」とも。
「学習指導要領が改定されるなら、本当の狙いがちゃんと分かるようにしてほしい。でなければ誤解が二重になっていく気がする」。佐藤恵里香さん(17)はそう話した。
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「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
※リンク切れ防止のためにこの記事の最後に記事を掲載します。
多分、真剣に自分たちが受けてきたゆとり教育の問題点を考え、《「スーパーサイエンスハイスクール」活動の一環として教育の科学的考察》を行おうとする若者を、「自信を失ってる」と決めつけるのは個人の発言としては自由なのかもしれないけど、ゆとり教育の責任者として、学力低下を否定するところからはじまって(学力が低下したことが問題視されて、今回改訂されたのだと思ってましたが)こういう発言はどうなのでしょう?
まぁマスコミ編集が入ってると思うので、実際にご本人と話せばまた感想は違うのかもしれないけど、どうせなら「学力が低下してももっと大切なものを得たはずだ」くらい言いきってくれれば、それなりに「ゆとり教育」のコンセプトは守れたのかもしれない。でも彼の発言はこの記事でよむ限り、ただの弁解で逃げでしかないと感じます。
責任者が、77歳。10年前は67歳・・・こういう人に決定権を持たせた(今も影響力がある)こと自体にも問題があるのかもしれないと思ってしまう。
有馬氏は、昨年10月に文部科学省が発表した全国学力調査の結果などを引用し、小学校6年生の漢字で「(魚を)焼く」と正しく書けたのは70・9%で昭和39年調査の33・8%を大幅に上回ることなどから、「義務教育段階での知識型学力は落ちていない」とする。
・・・昭和39年のデータ、それも時系列ではなく単独比較って、なんかこう統計データを見る際の感覚的にありえないというか。10年前と比較するのが妥当だと思うんだけど。めちゃくちゃなへ理屈だと感じるのは、私が「ゆとり」の母だから?
さくっと年間で1ヶ月近い授業数が減って、でも高校や大学の受け入れ体制は変わらない。それって無茶苦茶だ!なんというのか、距離は変わらないのに、時間を制限したマラソンみたい、というか(例えうまく伝わってますでしょうか?;;
そもそもゆとり時間の利用を可能にする教育的インフラもなくインプットを大幅削減・ダウンサイジングしてでもアウトプットは変わらない?それは錬金術だ。ありえない「理想」の呪術。誰が考えてもわかる破綻を、どうして通せたのか?
どういう見込みがあったのか?個人の妄想に近いイメージを押し付けられることに
違和感以上に恐怖を感じたのは、私だけではないと思う。
結局、減った学校での授業数・落ちた学力を補う学習時間は、当然ながら家庭に還元され、ノウハウのない家庭学習機能は塾にアウトソーシングされ、高額な個人塾が急成長。家庭の収入の一部がそこに確実に割かれ、そのために主婦のパート時間は増えていく・・・
ゆとり教育は家庭からゆとりを奪ったのだと思います。
私が考えるゆとり教育の弊害要素をキーワードにしてまとめてみました。
あくまで個人的私見ですが、この10年「ゆとり教育」導入時に
際立ってきた傾向も多々あるかと感じています。

私自身はゆとり教育は教育ビジネスに国が癒着した結果だとさえ考えている。国は国民を消費者に変え、子どもさえもその実験台にしたのだと。だから、国へのロイヤリティも愛国心も失せるのはある意味、当然なのでは、と。国はそれらをお金とバーターにしたのだから。
消費者は消費相当の商品(サービスを含む)を要求する。公共サービスや地域コミュニティの善意に、配慮や感謝をしないモンスターペアレントを生む土壌は「ゆとり教育」こそが生みだしたのだと思うのは言い過ぎでしょうか?
個人的には、モンスターペアレントに同感・共感はしないし、嫌悪対象でもあるが
(実際、数名とは直接バトルもしてきたが)彼らが様々な学校の教育サービスを享受することを「当然視」するのは国が「子どもとその親」を消費者に変えてしまったからだと思う側面はある。
こうした傾向を無視して、単純に授業時間だけに注目し不足分を増やしても、「体重が戻っても、一度失われた骨や筋肉は戻らないムチャなダイエット」(長いっすね;)のように、肝心の学習意欲は戻らないと思う。
新しく身体(教育システム)を作り直すくらいの目的をもって考えていってほしいと切望します。・・・が今のところ、あまり期待できないような・・・。
※その2に続きます。
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「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
2月17日16時4分配信 産経新聞
「未来像…学力低下はさらに進む!!」。昨年12月下旬、福島県相馬市から県立相馬高校の2年生14人が、元文部大臣の有馬朗人氏(77)を東京に訪ねてやってきた。
生徒たちは研究発表の資料を携えていた。「学力低下の要因の1つは『ゆとり教育』」「授業で習うことが社会で役に立たないから、学習意欲・関心が低下している」「教員の質も問題だ」…。資料には有馬氏を詰問するかのような学力低下の“分析結果”が並んでいた。
物理学者で東大総長も務めた有馬氏は、平成8年に「ゆとり」「生きる力」を打ち出した中央教育審議会の当時の会長だ。
生徒たちは、理数教育を推進する「スーパーサイエンスハイスクール」活動の一環として教育の科学的考察に取り組んだ。きっかけは、昨年12月上旬に発表された「生徒の国際学習到達度調査(PISA)」の結果で、「日本の順位がまた落ちた」という報道だ。
「学力は下がっていない」。きっぱりと反論する有馬氏に、生徒は目を丸くした。熱弁は2時間近くに及んだ。
有馬氏は内心ではこう嘆いたという。「自分たちが悪い教育を受けてきたと思っている。過度の『学力低下』批判が、子供たちの自信を失わせた。学力の問題より、こちらの方が大変なことではないのか」
◇
「お前、ゆとりだろ」。ネットの掲示板などで相手をおとしめるため使われる言葉だ。昨年12月、巨大掲示板「2ちゃんねる」のユーザーが中心となって投票した「ネット流行語大賞」では、銅賞に選ばれている。
中教審委員として前回と今回双方の指導要領改定に携わり、私立有名進学校を経営する「渋谷教育学園」の田村哲夫理事長(71)は、ゆとり教育の目指したものについて「教育の目的は不測の事態への適応力をつけるための訓練。高めるには知識などの学力が3割、意欲や思考力などが7割−が心理学の定説だ。前回の改定は、学力訓練に注力しすぎた教育をただすためだった」と位置づける。
だが、「時間を減らしたら、教える側が何もしなくなってしまったのが実情。できた余裕が現場でまったく生かされず、マイナスだけが出てきた」と、今回、30年ぶりに授業時間増に転じる理由を説明する。
「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」と有馬氏は言う。
「答申後、文部省(当時)の役人とともに全国を回ればよかった。ゆとりの意味はこうだ、とていねいに説明すべきだった。後悔している」
◇
今年1月16日、東工大のシンポジウムで有馬氏は、ここでも「学力が下がっていると言われるが、全く下がっていないことを証明する」と言い切り、「理工系学生の学力・学習意欲の低下が問題化している」と“弱気”なあいさつをした主催学生を勇気付けた。
有馬氏は、昨年10月に文部科学省が発表した全国学力調査の結果などを引用し、小学校6年生の漢字で「(魚を)焼く」と正しく書けたのは70・9%で昭和39年調査の33・8%を大幅に上回ることなどから、「義務教育段階での知識型学力は落ちていない」とする。
一方で中学で学ぶ2次方程式を解ける大学生が3割しかいない例をあげ、「大学はガタ落ちだ」とも認める。
学力が身についていない。応用型の国際学力調査などで成績が伸びていない現状は否定できない。
冒頭の生徒たちは有馬氏の説明を受け、氏家由希子さん(17)は「ゆとりが目指したものを知らなかった」とし、「有馬先生の考えが、親や地域の人にどれだけ浸透していたのか。納得いかないところもあった」とも。
「学習指導要領が改定されるなら、本当の狙いがちゃんと分かるようにしてほしい。でなければ誤解が二重になっていく気がする」。佐藤恵里香さん(17)はそう話した。
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20080218 00:33
金賞は「アサヒる」 ネット流行語大賞2007
■「ネット流行語大賞2007」最終投票結果
1.アサヒる
2.スイーツ(笑)
3.ゆとり
4.ニコニコ動画
5.Nice Boat.
6.初音ミク
7.自宅警備員
8.アッー!
9.KY
10.ニコ厨
11.そんなの関係ねぇ
12.自重
13.CLANNADは人生
14.どんだけ〜
15.でっていう
16.やらないか
17.常考
18.オザワる
19.滝川ルネッサンス
20.なんぞこれ
21.リア充
22.購入厨
23.オプーナ
24.アベする
25.はたけフリーズ
いくつわかりますかー?
って、「ゆとり」が3位、ぜんぜん笑えない。
これって「新人類」以上の人格破壊力な気がします。
大きな生物学的視野でみれば、10年間の異端創出が
なんらかのプラスの変化を生む可能性はゼロではない。
ダーウィン的にいえば、進化は常に異端から生まれるものだから。
彼らが30〜40代・社会的な決定権を発動できる年齢になった時
なにか大きな(社会的にプラスの)変化があるのかもしれない。
・・・でもね、ゆとりど真ん中の息子をもち、
かつ「ゆとり教育」導入時にどうしても納得できず
教育委員会に噛みついてきた親としては
やっぱり「なりたくてなったわけではないよ!」と
思ってしまう。彼らはいうなれば教育施策=国策のモルモットだ。
何事も、よりよくしていくために実験や試行錯誤は必要だとは思う。
でも、多くの関係者・当事者が明確に有していた&発していた疑問・不安・不満に
回答も保証も、もっといえばなんら有効な実行案も支援策もなく、
走りだしてからの見直しも改善もなく、
とりあえずな感じで導入されたままとりあえず10年間・・・
「だって導入が決定しちゃったんだから」「だって導入しちゃったんだから」
と、まるでどこかのダムや道路工事のような・・・
それってどう考えても納得できない。
当時、多くの学校で、現場の先生の大変さを聞かされ、
その見えてなさ加減に、
「・・・これって誰もしあわせにならないんじゃ?」と
多くの保護者(幼稚園・保育園生の母メインだったかなと)
は不安と不満でいっぱいだった。
一体どういう経緯と、どういう方針と
どういう具体的実行案をもって導入されたんだろう。
って個人的にムカツク(大汗;)記事発見。
「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」と有馬氏は言う。
「答申後、文部省(当時)の役人とともに全国を回ればよかった。ゆとりの意味はこうだ、とていねいに説明すべきだった。後悔している」
・・・記事のトーンも「はぁ?今更弁解ですか?」だけど、
責任者が今になって説明不足を後悔するのってどうなの?
新しいことを始める時は徹底した議論と、説明は必須だと思う。
や、どう考えても現場に投げっぱなしだったと思うよ。
導入前、教師職の父母仲間のてんてこまいと不安を散々聞いて
で、実際、最初の保護者会で先生たちのてんてこまいを耳&目にして・・・
きちんと改めて私見を書く予定ですが
ちょっとあんまりなのでフライング記事でしたっ。
そしてこちらも再度きちんとご紹介したいのですが
とりいそぎ、今回の改訂に関してぜひ読んでいただきたいRen様の記事です。
授業増…で、おk?(羊の夢 And Dream of Sheep)
内容に全面的に賛同します。
いろいろな意味で、国策検討者はもっと「現場」を
自分の目と耳と足で歩いていただきたい。
正しい情報収集とその体感・実感は
企画・立案者の基本中の基本だと思います。
関連:
40年ぶり小中授業増 理数09年から 指導要領改訂案(朝日新聞) - goo ニュース
授業増に歓迎、不安=「子どものつまずき増える」−条件整備の訴えも・学校現場 (時事通信) - goo ニュース
新学習指導要領案 どう育てる世界標準学力(産経新聞) - goo ニュース
■「ネット流行語大賞2007」最終投票結果
1.アサヒる
2.スイーツ(笑)
3.ゆとり
4.ニコニコ動画
5.Nice Boat.
6.初音ミク
7.自宅警備員
8.アッー!
9.KY
10.ニコ厨
11.そんなの関係ねぇ
12.自重
13.CLANNADは人生
14.どんだけ〜
15.でっていう
16.やらないか
17.常考
18.オザワる
19.滝川ルネッサンス
20.なんぞこれ
21.リア充
22.購入厨
23.オプーナ
24.アベする
25.はたけフリーズ
いくつわかりますかー?
って、「ゆとり」が3位、ぜんぜん笑えない。
これって「新人類」以上の人格破壊力な気がします。
大きな生物学的視野でみれば、10年間の異端創出が
なんらかのプラスの変化を生む可能性はゼロではない。
ダーウィン的にいえば、進化は常に異端から生まれるものだから。
彼らが30〜40代・社会的な決定権を発動できる年齢になった時
なにか大きな(社会的にプラスの)変化があるのかもしれない。
・・・でもね、ゆとりど真ん中の息子をもち、
かつ「ゆとり教育」導入時にどうしても納得できず
教育委員会に噛みついてきた親としては
やっぱり「なりたくてなったわけではないよ!」と
思ってしまう。彼らはいうなれば教育施策=国策のモルモットだ。
何事も、よりよくしていくために実験や試行錯誤は必要だとは思う。
でも、多くの関係者・当事者が明確に有していた&発していた疑問・不安・不満に
回答も保証も、もっといえばなんら有効な実行案も支援策もなく、
走りだしてからの見直しも改善もなく、
とりあえずな感じで導入されたままとりあえず10年間・・・
「だって導入が決定しちゃったんだから」「だって導入しちゃったんだから」
と、まるでどこかのダムや道路工事のような・・・
それってどう考えても納得できない。
当時、多くの学校で、現場の先生の大変さを聞かされ、
その見えてなさ加減に、
「・・・これって誰もしあわせにならないんじゃ?」と
多くの保護者(幼稚園・保育園生の母メインだったかなと)
は不安と不満でいっぱいだった。
一体どういう経緯と、どういう方針と
どういう具体的実行案をもって導入されたんだろう。
って個人的にムカツク(大汗;)記事発見。
「ゆとり教育」の先に…自信も失った若者たち
「『ゆとり』には、地域社会と大人が土日は時間のゆとりを持って子供たちと過ごし、子供を鍛えてほしいという意味も込めていた」と有馬氏は言う。
「答申後、文部省(当時)の役人とともに全国を回ればよかった。ゆとりの意味はこうだ、とていねいに説明すべきだった。後悔している」
・・・記事のトーンも「はぁ?今更弁解ですか?」だけど、
責任者が今になって説明不足を後悔するのってどうなの?
新しいことを始める時は徹底した議論と、説明は必須だと思う。
や、どう考えても現場に投げっぱなしだったと思うよ。
導入前、教師職の父母仲間のてんてこまいと不安を散々聞いて
で、実際、最初の保護者会で先生たちのてんてこまいを耳&目にして・・・
きちんと改めて私見を書く予定ですが
ちょっとあんまりなのでフライング記事でしたっ。
そしてこちらも再度きちんとご紹介したいのですが
とりいそぎ、今回の改訂に関してぜひ読んでいただきたいRen様の記事です。
授業増…で、おk?(羊の夢 And Dream of Sheep)
内容に全面的に賛同します。
いろいろな意味で、国策検討者はもっと「現場」を
自分の目と耳と足で歩いていただきたい。
正しい情報収集とその体感・実感は
企画・立案者の基本中の基本だと思います。
関連:
40年ぶり小中授業増 理数09年から 指導要領改訂案(朝日新聞) - goo ニュース
授業増に歓迎、不安=「子どものつまずき増える」−条件整備の訴えも・学校現場 (時事通信) - goo ニュース
新学習指導要領案 どう育てる世界標準学力(産経新聞) - goo ニュース
20080114 01:22
「連帯責任」クラス全員平手打ち…横浜市立小の女性教諭(読売新聞) - goo ニュース
企業だと、社員が不祥事を起しても、最終責任はトップがとることになる。
不祥事は企業を揺るがすことになる場合も多い。
最近の食偽装で、パートのせいにしようとした事例があったが、
コンプライアンスの責任問題でいえば、たとえ、本当にパートの判断で
あったとしても、その責任は雇用者であるトップがとるのが正しい。
だからこそ社員・スタッフ教育が重要視されるなわけで、
マインド的にはスタッフ含めた社員全員の連帯責任であっても
(能力給精度において、連帯責任は多くの現場で死語と化しているけれど)
本来はトップがすべての最高責任者であるべきで、
その高い報酬にはその分も確実に含まれている。
閑話休題
教育の現場が様々に問われている現状で、
子どもを全員平手打ちした愚行もさることながら、
連帯責任を持ちだすのなら、現場責任者でありながら
子どもたちを統率できなかった自分をまず最初に罰するべきだろう。
(教育者としてのレベル以前)
54歳にもなって、そういう世間の常識もわかっていない。
そういう存在が教師のイメージを下げ続けている。
きちんと先生の言うことを守ったであろう子どもを
自分の感情だけで罰したこと、
それが平手打ちという、形ででたこと。
こういうことが簡単にできてしまうからには、
今までにも前科があるはずだ。
今までの勤務先での保護者評価を調べてみれば、
すぐにわかることだと思う。
保護者のクレームを、学校を変えることでうやむやにする。
問題教師対策の常套手段。根本的解決はないままに。
こういう教師を何度でも許して生みだしてしまう、現場管理の責任は
この学校の校長、その上位組織である教育委員会、その先の文部科学省にある。
企業だと、社員が不祥事を起しても、最終責任はトップがとることになる。
不祥事は企業を揺るがすことになる場合も多い。
最近の食偽装で、パートのせいにしようとした事例があったが、
コンプライアンスの責任問題でいえば、たとえ、本当にパートの判断で
あったとしても、その責任は雇用者であるトップがとるのが正しい。
だからこそ社員・スタッフ教育が重要視されるなわけで、
マインド的にはスタッフ含めた社員全員の連帯責任であっても
(能力給精度において、連帯責任は多くの現場で死語と化しているけれど)
本来はトップがすべての最高責任者であるべきで、
その高い報酬にはその分も確実に含まれている。
閑話休題
教育の現場が様々に問われている現状で、
子どもを全員平手打ちした愚行もさることながら、
連帯責任を持ちだすのなら、現場責任者でありながら
子どもたちを統率できなかった自分をまず最初に罰するべきだろう。
(教育者としてのレベル以前)
54歳にもなって、そういう世間の常識もわかっていない。
そういう存在が教師のイメージを下げ続けている。
きちんと先生の言うことを守ったであろう子どもを
自分の感情だけで罰したこと、
それが平手打ちという、形ででたこと。
こういうことが簡単にできてしまうからには、
今までにも前科があるはずだ。
今までの勤務先での保護者評価を調べてみれば、
すぐにわかることだと思う。
保護者のクレームを、学校を変えることでうやむやにする。
問題教師対策の常套手段。根本的解決はないままに。
こういう教師を何度でも許して生みだしてしまう、現場管理の責任は
この学校の校長、その上位組織である教育委員会、その先の文部科学省にある。




